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亀と山Pドームツアー2020ライブチケット申込方法や開催日程は⁈修二と彰15周年!

亀と山Pドームツアー2020ライブチケット申込方法や開催日程は⁈修二と彰15周年!

亀と山Pドームツアー2020が開催されることが決定しました。

今回の2大ドームツアーは5月に大阪の京セラドームで、6月に東京ドームで開催されます。

ライブチケットのFC・一般申込み方法や開催日程をまとめました。

また亀と山Pドームツアー原点になった15周年を迎えた修二と彰についても改めて振り返ってみたいと思います。

亀と山Pドームツアー2020ライブチケット申込方法や開催日程は⁈

「亀と山P」初の2大ドームツアーの開催日程はこちらです。

  • 2020年5月9日(土)・10日(日)  大阪の京セラドーム
  • 2020年6月13日(土)・14日(日)   東京ドーム

新型コロナ感染拡大防止策として、イベントが中止になっていますので、

この頃には収束していて、無事開催されることを願います。

 

現時点では、ファンクラブ会員限定で事前申し込みをできるようになっています。

  • 申込み期間 2020年3月9日(月)~3月16日(月)17:00
  • 当落発表日 2020年3月27日以降
  • 入金期限  2020年3月31日 23:59まで
  • 申込み枚数 1人4枚まで

尚、一般発売もされる予定ですが、

現時点ではまだFC会員先行予約中となりますので、詳細が明らかにされていません。

申込み期限が3月16日で、当落発表が3月27日なので、

一般発売開始はそれ以降になるのではないかと予想されます。

また情報が入り次第追記していきます。

亀と山Pドームツアー2020の原点は15年前の「修二と彰」

テレビドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)での共演をきっかけに、亀梨和也くん(KAT-TUN)と山下智久くん(当時NEWS)によって結成されたことで話題になりました。

ユニット名はドラマ『野ブタ。をプロデュース』中で、亀梨和也くんが演じた「桐谷修二」と、山下智久くんが演じた「草野彰」から取り、ジャニー喜多川氏が名づけたとされています。

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ジャニーズ エンタテイメント

当初、活動は2005年末までの予定だったが、2006年に入ってからもテレビ番組への出演が止まらないというほどの大ブームを起こしました。

2005年11月2日に発売したシングル『青春アミーゴ』は、ミリオンセラーを記録。そして、スウェーデンの作曲家チームによって製作された楽曲は、翌2006年にはスウェーデンでも発売されました。

発売当時、亀梨和也くんはCDデビューしておらず、KAT-TUNもデビュー前であったため、『青春アミーゴ』が初のCDとなりました。

そんな彼らが、2017年4月スタートの日テレ系土曜ドラマ『ボク、運命の人です。』で亀梨和也くんと山下智久くんが12年ぶりに共演し、「亀と山P」として主題歌を担当することが発表されました。

「背中越しのチャンス」5月29日付オリコン週間シングルランキングで初週175,569枚を売上げ、1位を獲得したことでも取り上げられました。

そして、2019年から2020年にかけてのジャニーズカウントダウンライブにおいて、山下智久くんと亀梨和也くんが、「修二と彰」結成から数えて15周年を記念したコンサートツアーをはじめとしたプロジェクトを始動することを発表しました。

今回の2大ドームツアーを機に、初のオリジナルアルバムも発売されるようで、「修二と彰」を懐かしむ人も多くいたようです。

亀と山Pドームツアー2020参加希望者多数!!

亀と山P「修二と彰」のCD「青春アミーゴ」とは

 

日本国内での累計売上は162.6万枚(オリコン調べ)。

累計出荷枚数は200万枚を突破したとされています。

『青春アミーゴ』のカップリングには、

カラフル(山下智久)・・・山下智久くん出演 TBS系ドラマ『ドラゴン桜』の挿入歌と、

絆(亀梨和也)・・・亀梨和也くん出演 日本テレビ系ドラマ『ごくせん 第2シリーズ』挿入歌が

入っていたこともあり、

今でも多くのジャニーズファン、後輩のジャニーズジュニアに引き継がれる曲が入っていたことも有名です。

 

亀と山P2大ドームツアー2020まとめ

「修二と彰」を知らないジャニーズファンも最近は多くなっているのが現実です。

2005年なので、15年前、中学生以下はみんなまだ生まれてもいません。本当に信じられないという声もネット上で多くあり、時の流れは恐ろしいほどです。

最近デビューした、ラウールくんは2003年生まれなのでなんと、当時は2歳ということも驚きです。

道枝くん、ラウールくんで青春アミーゴを踊っていましたが、当時は2歳と3歳だったことになります。

しかし名曲として生まれてなくても多くの後輩のジュニアと多くのファンに覚えてもらっているので名曲は色あせることなく、語り継がれていくのではないでしょうか。